落語が好きで、江戸時代の人の生活や習慣に関心があります。そんなテーマの本を読んでいて思うのですが、江戸時代には失業している人がいないそうです。現代では就職が難しく思われる与太郎でも、路上の古着店で開業しています。放蕩三昧の若旦那も、唐茄子屋になって売って歩きます。
今日も読んで戴きましてありがとうございます。元気にお過ごしですか。
起業アドバイザーの中山おさひろです。
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あくびの仕方を教える師匠がいたり、洗濯糊を売っているばあさんがいたり、誰もが何かしらの仕事をしています。仕事もしないでブラブラしているのは、大棚の若旦那と相場は決っていました。経済は決して大きくはないのに、大半の人は食べていける程度に自分の商売をもっていました。
現代は人口も増え、それに比例して仕事も増えています。ただ、同じ仕事で起業する人は増えていますが、新しい仕事での起業となりますと決して多くはありません。誰かが、これまでにない面白い仕事で起業して、儲かっていると聞くとどっと多くの人が参入します。
直ぐに過当競争に陥ります。そのため、最初にリスクをとって起業する人が少ないのが現実です。江戸時代には可笑しな仕事も含め、何故、起業する人が多かったのか考えてみました。現代とは比較にならないほど情報網は整っていないのにです。
多分、多くの起業を可能にしたのは、町内の情報網の方が現代とは比較にならないほど、整備されていたせいと思います。人が集まる、湯屋にしろ、髪床にしろ、絶えず情報が飛び交い、あくびを指南するような商売にも、たまにはお客さんが集まっていたのです。
現代を考えますと、インターネットやマスメディアの発達によって、全国に情報を流すことは可能になりました。しかし、自分が住んでいる街での情報発信力は著しく弱まっています。人の横のつながりが、メディアの発達で薄くなったからです。
全国数万人のお客さんがいるのと、地元に数百人のお客さんがいるのでは、輸送費、商品の鮮度、お客さんの忠誠心、それにトラブル処理などを考えると、地元商売には敵いません。今の時代も、江戸の知恵を生かすことも、起業にとっては大切です。
【余談】
大震災の支援金受け渡しが滞っています。内閣からの指揮系統が脆弱で、意思統一ができていません。こんなときに起こるのが、義援金を誤魔化す人間がでることです。長いこと、倉庫にコメを積んだままにしてますと、鼠が出てきて穴を開けてコメを食べ始めます。義援金も同じで、どんどん渡していかないと、1枚2枚と抜く輩が出てきます。これは、いくら善意のお金と言っても、人間社会では起こることです。最初から起こるものとして、対応策を考えておくことです。