今やB級グルメは全国的に知れ渡り、毎週末には各地でB級メニューの美味さ比べが行なわれています。中でも、B-1グランプリの第一回優勝の富士宮やきそばは、王者の貫禄でどこのイベントでも引っ張りだこです。まるで、富士宮やきそば自体が起業した趣があります。今日は、このB級グルメの代表格を取り上げてみます。
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起業アドバイザーの中山おさひろです。
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静岡県富士宮市に「富士宮やきそば学会」が誕生したのは、2000年11月です。既にこの時点で、「やきそば」と「富士宮」と「学会」とによる、大掛かりなプロモーション計画はできていたようです。元々、富士宮のやきそばは特別のやきそばとは言えません。スタートは、子ども向けの駄菓子屋さんが、駄菓子を売る傍らでやきそばを販売していました。特別の作り方があったわけでも、特別の具を入れていたわけでもなさそうです。
ただ、やきそばを題材に、街を挙げてのプロモーションによって、駄菓子屋のやきそばが徐々にステータスを上げていきました。有名なのは01年に行ったやきそばギネスへの挑戦です。3776人分のやきそばを作って、全国版のニュースに乗せることに成功しました。02年からは天下分け麺の戦いとして、北九州市の小倉焼きうどんとの味の戦いをして、富士宮のやきそばは全国に知られます。
これらは、やきそば学会が独自に考えた売り出し方から生まれたものです。それまで、中華料理店のメニューの片隅にあったやきそばが、徐々に大きな文字になり、やきそば専門店が続々と生まれるまでになりました。土日や祭日には、周辺の都市から富士宮のやきそばを食べに集まるほどです。既に早い段階から商標戦略は仕組まれていて、「富士宮やきそば」の名称で販売するためには、市内の3製麺所が製造する麺を使用すること。月々の販売額に応じた、ロイヤリティを支払うことなどきっちりと決めています。また、市内で泊り込みで行う研修に参加することも義務付けています。
これらの仕組みは、やきそば学会が市を巻き込んで仕掛けた、団体による起業です。06年からのBー1グランプリでは2度優勝して、富士宮やきそばは全国的なブランドになりました。今わが国では、個人の起業ばかりではなく、団体による起業の可能性があります。やきとりの串の長さを競って有名な、全国やきとり連絡協議会(全や連)もあります。地方においては、個人の起業ばかりでなく、こんな団体起業の可能性を探ってみる手もありそうです。
【余談】
今度の正月、首都圏が地盤のスーパー サミットは長年続いてきた元旦営業を止めます。スーパーにしろ、百貨店にしろ、わが国の企業は横並びで同じスタイルを維持してきました。やっと、サミットが足並みを揃えることを止めます。問題は、この後他のスーパーはどんな戦略を取るかです。起業でも同じですが、独自の戦略を考えなければ、これから生き残ることは難しくなります。
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