日大アメフト部の反則タックル問題は、5月6日の発生以来驚くほど息長く注目を集めています。この間、森友・加計問題や、米朝会談、サッカーワールドカップ、働き方改革などニュースの目玉は目白押しのはずですが。
しかもこの試合が行われた日大対関学戦は、公式戦などではなく毎年春に行う定期の練習戦の位置付けです。普段ならテレビのスポーツニュースどころか、新聞のスポーツ欄でも載るかどうかの試合のはず。
考えてみますと、アメリカンフットボールという競技でさえ、実際に試合を見た経験のある人が何人いるかが、問われるほどマイナーな競技です。本場のアメリカと違い競技人口も極端に少ないスポーツ。
このような現状の中で大きな話題になっているのは、日大アメフト部監督が絶対的な権力をもっていて、それに逆らえずに反則を行う選手の立場が、日本の会社で働く人間の立場に似ているからではないでしょうか。
一つには、仕事の上とはいえ辞めるに辞められずに、違法すれすれの営業や製品製造に関わっている人や贈収賄事件や談合など、警察の目が気になる組織に入って仕事をする人が意外に多いのかも。
もう一つは、日大前監督のように組織内での絶対的な権威をもっている人がいて、それに逆らうと組織を辞めることを意味する仕事に関わる人たち。企業経営者や幹部んんお中には、このタイプの人がこの国に多くいます。
わたし的に言わせると、勝ち方を知っているつもりの人は多いです。「自分の言う通りに実行すると、この仕事は間違いなく成功することができる」と公言する人さえいます。
このように変化のない時代には、一つのスタイルでいつまでも勝つことができました。ただ、これが通用したのは20世紀までの話。次々と新しい技術やシステムが生まれる現代では、絶対的な勝ち方など存在するはずがありません。
これがアメフトではなく、サッカー、野球、バスケットボールなど、競技人口が多く、競争の激しい競技では、勝ち方を見い出して一時は勝者になっても、直ぐに新たな勝ち方が生まれ勝者は交代します。
これはビジネスにおいても同じで、一時は爆発的に売れる手法を見い出しても、直に他社に真似られたり新たな手法が現れて勝者は交代することになります。特に、スピードが速い現代においてはこの傾向が顕著です。
現代は、単純に勝ち方を知ることよりも、勝ちに結びつけるための頭脳を集め、勝つためのプロセスを探すことが重視されます。変化する環境に合わせ、チームの力で成果を上げていくことです。
【ひと言】
今から50年近く昔にも、日本大学は学生との間で大きな騒ぎを起こしています。その時は、大学当局が多額の使途不明金を出していたことで、授業料値上げに反対していた学生との間で乱闘騒ぎになりました。現在の理事長はその時に体育会側の人間として、学生集会を蹴散らした側として知られているようです。歴史は繰り返されると言いますが、何度も繰り返されるようです。