経営に関する本を読みますとビジネスで成功する秘訣は、ブルーオーシャン戦略で他人が誰も参入していない市場を探し起業することを勧めています。この説に沿って考えるなら、日本一のブルーオーシャンを探り続けた成功者は渋沢栄一と言うことになります。
今年のNHK大河ドラマの主人公に抜擢され、24年に一新される新一万円札の顔となる、今よみがえる時の人です。天保11年(1840年)、江戸時代後期に埼玉の半農半商の家に生まれ、若いときに一橋家の家来に取り立てられたことで下級武士になりました。
27歳で幕府使節団の一員としてパリ万博に参加、このときに西洋の会社組織や簿記を学びます。元来、鎖国していた日本から外国を訪れる人のほとんどいない時代。しかも当時の特権階級武士はお金に関わることを卑しいこととして忌み嫌っていた時代でもあります。
渋沢が日本に戻ってから約500社近い会社設立に関わっているのは、他に会社設立のノウハウや収益を上げるビジネスの仕組みを知る人が、当時の日本にはほとんどいなかったからです。高度の教育を受けれるのが武士なら、海外留学できるのも武士の時代でした。
西洋で学ぶことのできた江戸、明治の人たちはそのほとんどが、法律、医学、工学、理学だったのに対し、数少ない会社や経済を学んだのが渋沢です。彼こそ日本人には珍しいブルーオーシャンを選択した奇異な人と言うことができるかも知れません。
現在においても、金儲けを卑しいという人は少ないと思いますが、人と同じ道に群れることを好む日本人は多いです。そのため、レッドオーシャンで競争の激しい世界ばかりに頭を突っ込むことなって、苦労している人が大勢います。
もう一つ渋沢の影響が現在に生きているのはタイムマシン経営です。今も米国で流行した金儲けは、3年から5年後には日本でも流行します。渋沢は日本に銀行システムを最初に導入した人で、その後も当時西洋で業績を伸ばしていた、紡績、製紙、ホテル、損保、ガスなど広い分野の企業設立に関わっています。
明治時代、日本社会にとっては大変な貢献をした渋沢ですが、政治家や軍人、官僚などと比べて決して対等な評価をされていません。今になって、日本経済が行き詰る時代になったことで、渋沢の偉業に正当な目が向けられるようになりました。
渋沢栄一を考えるとき、決して人と群れて同じ道を歩まなかった生き方は、現在の日本国民にも学ぶべき点は多くあります。今の日本の行き詰まりは、同じような発想のお利口さんばかりで会社や国をリードしようとする、似たもの組織の弊害がこの国を退屈なものにしています。
【ひと言】
戦後の日本社会は長い事、多くの人が同じ道を歩むことで多くの成果を上げてきました。それも1990年代までのこと。現在、われわれを取り囲んでいる問題は日本一国だけで解決できる問題は限られていて、環境問題にしろ経済問題にしろ世界と協力しないと解決しない問題ばかりです。日本語だけを頼りに考えていては解決が難しいです。いつまでも他人と同じことを発想する日本人では、他国から置いきぼりになるだけです。
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