米国では、大学卒業生が在校中に借りた奨学金の返済を巡り大統領選での重要課題になっているのに、日本では奨学金返済がほとんど問題視されていません。借りた本人個人の問題で、単に親の収入が低いだけのような問題のされ方です。
しかし現在のように技術革新が進む社会では、少しでも能力を高めた人間が増えないと日本社会の基盤はどんどん弱くなります。事実日本の教育では、IT系の需要に対し学校も学生も少ないため、社会のデジタル化は世界で大きく遅れた一国に成り下がっています。
その昔明治政府は、当時の新興国として貧しいながらも多くの若者に教育機会を提供、短期間に社会の知的レベルを高めました。現代は、先進国と云われながら大学進学率も低いですし、学校教育に対する公的予算が低い国の一国です。
この日米の若者に対する対応はどこからくるのでしょうか。今の日本の指導層は、高い学費や塾費用の払える金持ちの子供にだけ教育機会が恵まれているため、官僚も大手企業の幹部も豊かな家庭に育った子供たちに占められています。
その結果、文科省や財務省の官僚は貧しい家庭の子供たちの教育には関心のない人ばかり。食事が満足とれない子供たちへの「子供食堂」が全国に5000カ所を超え、児童館の4600を楽に超えるほど貧しいのが今の日本の現実です。
この貧富の差の典型とも云えるのが政治家の世界。自民党をみて分かるように、党幹部の大半は世襲議員かその取り巻きばかり。選挙で名前が書きやすいように「太郎」なんて祖父や親から付けられる人間に、現在の貧困の現実を分かるわけがありません。
日本の場合、戦後76年も経っていますから3代目議員まで現れ、麻生、鳩山、安倍など首相にまで上り詰めています。特に自民党の場合は、選挙地盤がほぼ固定していて新人ことは比べものにならないくらい楽な選挙をしています。
そして彼らの支持層は、昔ながらの固定した保守層ですから、現状の枠組みを変えることをしません。米国では、若手議員や左派議員が貧しい学生の側に立って借金問題に取り組んでいるのとは大きな差があります。
これは学生だけの問題ではありません。軍国主義によって生命と財産とを奪われた国民が、戦後必死になって築いてきた国の富が、政権によって赤字国債に替えられようとしているのが今の日本のような気がします。
【ひと言】
今でも思い出すのは、安倍前首相がよく口にしていた「ドリルの刃になって岩盤規制を打ち破る」です。良く考えると分かることですが、岩盤規制によって守られているのは、昔からの自民党を支持している会社、団体、法人などの幹部・経営者です。その昔小泉元首相が言った「自民党をぶっ壊す」と同じで、単なる言葉遊び、実態をカモフラージュするための方便と云った方がいいでしょう。この種の言葉に騙され、ずるずると自民党政権と一緒に泥沼にはまり込んでいるような気がしてなりません。
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