「タビオ」会長の越智直正さんが82歳で亡くなりました。越智さんは全国各地で精力的に講演活動をしていて、マスコミにも登場していたので話を聞いたことがある人も多いのではないかと思います。
越智さんは愛媛県で生まれ、1955年15歳の時に大阪の靴下卸問屋に丁稚として奉公にでました。終戦から10年後の当時、地方の多くの家は農業に従事していて、長男は家を継ぐと次男以下の子供は多くが見習いとして商店や工場で働いでいました。
その後29歳で独立して靴下専門の卸問屋を開業。45歳のときにフランチャイズ本部「靴下屋」の展開を始めています。1984年のことです。越智さんが当時の他の経営者と違っていたのは、いち早くコンピューターネットワークシステムを導入したこと。
「売れるモノを売れるだけつくる」を社是に、日本国内でのモノづくりにこだわりました。92年には、国内の靴下製造会社との間で“協同組合靴下屋共栄会”を作り、ネットワークを通じた受発注システムを構築したほど速い動きでした。
2000年には株式上場を果たし、06年社名を靴下屋から「タビオ」へと名称変更しています。時代の変化に素早く反応する経営者でしたが、越智さんの講演を聞いていてとても感心したことが二つありました。
一つは中国の古典「論語」をとてもよく勉強されていたこと。経営上の難しい判断をするときには、論語で身に着けた教えを頭のなかに思い浮かべることで、ほとんど悩むことなく判断できたと言ってました。
二つ目は、毎朝ベランダで手を合わせ親族とこれまでお世話になった多くの恩人の戒名を読み上げてお礼をしていたといいます。歳を取ると記憶があいまいになるのと、恩人の数が増え続けて毎日大変といいながら数十年も続けているといってました。
現在、起業と言いますとMBAで経営の勉強をして会社を興す人が最先端で、会社員で起業塾などで学ん開業する人が大半です。戦前から戦後もしばらくは、丁稚として年期奉公をしてその後のれん分けのカタチで開業する人がほとんどでした。
パナソニック創業者の松下幸之助を筆頭に、戦後の日本の高度成長を支えた経営者の多くはこの丁稚経験者でした。経営のイロハから自分で考えなければならないのですから、大変な苦労をして事業を切り開いていった人たちです。
「生きるためには何歳になろうと勉強を続けることです」と話していた越智さんも亡くなりました。丁稚から上り詰めた戦前生まれの最後とも言える経営者が表舞台からひとり消えました。長いことご苦労さまでした。
【ひと言】
戦前の日本は国が貧しかったため、どんなに能力があっても進学できずに子供の頃から社会にでて働きました。そこから多くの経営者が生まれたのは、日本という国の資本主義が正常に機能していたことになります。学歴のない人でも事業で成功することができることが、資本主義のもつダイナミズムです。高学歴者ばかりになると、この国の資本主義も歪んできます。
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