経済の話から少し離れますが、東京高裁が死刑囚 袴田巌さんの裁判のやり直しを認めた件です。高裁のやり直し判決に対し、東京高検は当然のように最高裁に特別抗告をする方針でした。それが抗告最終日の当日になって急遽断念し、袴田さんの再審を認めることになりました。
今後、静岡地裁に差し戻し最初から裁判のやり直しが行われます。そして最終的には袴田死刑囚の無罪判決が言い渡される手筈です。一度は最高裁で死刑判決をだした裁判をやり直すことは国の威信にかかわること。日本国の仕組みの何かが変った気がします。
わが国では過去に4件の死刑判決の冤罪事例があり、死刑囚が無罪となって放免されています。ただこれら4件は全て1980年代に行われた裁判でのこと、その後は30年以上ありませんでした。世界の各国はその間に、死刑制度を廃止しているのに日本は今も死刑が存続しています。
日本は民主国家で、三権分立によって国の安全は保たれていると学校で習いました。ところが行政府の長である総理大臣は、立法府の長の衆参議会議長を実質的に決めますし、司法の制度を司る最高裁長官も総理大臣によって決められます。
2020年1月に、当時の安倍首相が検事総長を自分の意の通りに動く人間にしようと画策して大問題になりました。司法に関しては、最高裁よりも検察庁に国を動かす力があり、そのトップに首相の意向を忖度する人間が就いたなら政権の思いのままです。
日本の国の根幹は、それほど脆弱な仕組みで作られていたことにもなります。自民党の政敵だった小沢一郎氏が逮捕され、後日冤罪とされたのも検察と政権の暴走と云われました。安倍首相の意中の人間が麻雀賭博をして捕まったのは検察のリークとも云われます。
この検察庁という組織は、法務省に属する国家公務員によって成り立っています。誰よりも出世することが最重要とされる官僚ですから、大物政治家とは微妙な距離を保ちつつ忖度も行っています。12年の第二次安倍内閣以降、各省庁の幹部人事を政府が管理していることで、国民よりも政権の顔色を窺う行政が続いています。
そんな中で起きたのが検察による特別抗告の断念です。日本の世論の大勢は袴田さんに同情的で、過ってないほど検察に対して冷たい視線が向けられていました。これまで検察と警察の区別もつかなかった人々が、袴田さんの冤罪をきっかけに日本の司法制度のなかでの検察庁の特異な存在に気付き始めています。
これまでと違い否応なく国民の視線を気にするようになった検察幹部。本来的には、首相になることで何でもできる今の日本の政治の仕組みを考える必要があります。同時に、検察による刑事事件の検挙率99.9%の恐怖も考える時期にきています。
【ひとり言】
日本も高度成長期を経て経済大国になって40年近く、いつしか大国を追いかける立場から大国から転げ落ちる立場に変化しています。米国や中国の大量消費経済と軍事力を誇る国とは違い、他国と協力関係を強めながら共に成長する、日本は民主国家としてアジアで特異な存在の国です。自国のゆがみを正しながら武力に依存しない国でありたいもの。企業経営に関わると犯罪は身近になりますから、日ごろから身を守る警戒心が必要です。
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