今の日本はリーダー不在の社会といわれます。ビジネスにおいては、大手企業は順送り人事で生まれた社長ばかりですから、自分の任期の4年なり6年を問題なく過ごすことしか考えていません。政治の場合は自分が選挙で当選することが第一で、リーダーシップを身に着けようなんて考える若手は皆無です。
今回の地方選の政策をみても、大半の首長候補、議員候補が「住みやすい街づくり」や「教育の無償化」「子供の育てやすい街」ばかりで、独自色の政策を掲げると泡沫候補扱いにされてしまいます。維新の会が掲げた「身を切る改革」がコロナ以降じゃぶじゃぶの財政では、新鮮に聞こえるほどこの国の政治は歪んでいます。
リーダーシップは日本ではあまり耳慣れない言葉ですが、21世紀に入って米国の経営学において重要な課題になっています。リーダーは自分の目標を掲げて従業員や市民に呼びかけますが、リーダーシップはその目標に賛同してリーダーの後ろに並ぶ人を一人でも多く作るイメージです。
日本では、その目標を主張する人さえ少ないですし、ましてリーダーの後ろに並ぶ人などほんの一握りになっています。選挙の投票率が低くなる原因ですし、統一教会のような団体が政治に大きな影響を及ぼす原因にもなっています。世襲議員が増え続けているのも、このリーダーシップ不足が原因と考えられます。
銃弾に倒れた安倍晋三元首相は、この世に生まれた時から将来のリーダーとして期待されてきた人ですから、リーダーシップに関しては用意周到の人生を過ごしてきたと想像できます。ただ彼の掲げる目標が、軍事大国なのか、強権国家なのか、独裁社会なのか、いずれにしろわたしにはとても理解不可能な人でした。
いずれにしろリーダーシップが不足している日本は、早晩行き詰ることは確かです。誰もが日本の赤字国債の発行規模はコロナ禍以降危険水域に入っているのに、気付かないフリをしているとしか思えません。このまま赤字国債に3割近くを依存した予算編成を続けていると、裏付けのない国債頼りの戦前の日本政府と同じ失敗を犯すことは目に見えています。
不思議なことに、第二次安倍内閣が発足した2012年以前の日本には、赤字財政に対する危機感が日本国民には充満していました。本来ならこの時に、赤字減らしを英断できるリーダーがでるべきでしたが、現実はますます赤字を増やして経済立て直しを考えたアベノミクスによって赤字額はますます膨れました。
当分、日本を再建できるリーダーは期待できませんから、せめて自分の会社だけは国と一緒に傾かないようにリーダーシップを発揮することです。1億2千万人の国民がいますから、経済が経ちいかなくなることはありません。ただ国からの公的なサービスの中には、財政的に提供できなる事態は覚悟すべきです。
【ひとり言】
日本の政治家と他の先進国の政治家との違いを比べると、米国にしろフランス、ドイツにしろ、地方自治体の首長を経験して後で大統領や首相に就任するケースがとても多いです。中国までが、省の書記をしてから中央政府に入る仕組みができています。日本は逆で、国会議員から自治体の首長へと転出するケースばかり。政治家としてのスキルを磨くことなくいきなり国政で、政策よりも公務員が作成する文章を読むだけの政治ですから、能力不足は目を覆うばかりです。
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