国会で急に審議を始めたのが「国立大学法人法改正案」 この10年の間に大学は大きくカタチを変えました。過って大学の最高意思決定機関というと教授会でしたが、今は役員会や経営協議会が大学組織の運営方針全般を決めています。
現在も学術会議の人選を巡り政府と学者とがもめていますが、国立大学の運営を巡っても政府は強力に政権の方針を進めようとしています。ここでも政府の方針に従った運営をするよう、国立大学当局に圧力をかけ続けているのが現実です。
その方針というのは「稼げる研究」を大学に強いるもの。大学内での文系組織を減らし、代わりに事業や製造に重点を置いた教育・研究に力を入れさせようとしています。政権の要求に応えるように、大学のなかには政府や財界の意向に沿う運営を求めるのが今回の改正案です。
早い話が日本の学生を、ビジネスに特化したロボットにしようとする動きです。日本国民は、そんな会社に従属した人間として一生を過ごそうと考えますか。これから生まれてくる国民は、否応なしに100年の人生を生きる人たちです。
企業が求める優秀なビジネスパーソンとして生きられるのは精々50歳まで。その後の50年近くは、日々の生産性を競う数字から離れ人間として、数字に追われない世界を生きることになります。大学で稼ぐことばかりを学んでも、人生の前半しか役には立ちません。
しかも現在の創造性やイノベーションは、文化や芸術の世界を媒介として生まれています。21世紀に入ってから北欧経済圏の目覚ましい成長は、社会の多様性や人権の尊重を基にして生まれています。デザイン思考の広がりも、生産性ばかりの事業では無理です。
そう考えると「国立大学法人法改正案」は、北欧諸国からは1周や2周遅れの大学教育を目指していることになります。申し訳ないですが、今の政治家にわが国の高等教育の方向性を論じるのはムリです。国民が真剣に考えないと大学も司法と同じ道を歩むことに。
中国やロシアといった強権国家は、昨日今日いきなり強権政治が始まったわけではなく、長い月日を通じて国民に強権を教育してきました。簡単なところでは、軍事の優先、マスコミのコントロール、労働者国民の抑圧、企業の保護、身びいきの横行腐敗などがあります。人権や学問・芸術の軽視も大きな課題です。安倍元首相が拘ってきた政策は、気持ちが悪いほど強権国家への道筋と同じ方向を歩んでいます。
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