90年代、阪神タイガースの新庄は、ブランド物の服を着て高級外車を乗り回し、人気に成績が追いつかないダメ虎を代表するような選手だった。
その新庄が00年のストーブリーグ、阪神が提示した12億円5年契約の条件を蹴って、米国大リーグのメッツへ年俸20万ドル(2200万円)で移籍する。多分、彼はそれまで経験したことのないリスクを冒して米国に渡ったと思う。
プロ野球選手は、特殊な技術を持った自営業者である。一年、一年が勝負であり、成績不振が続くと否応なしに球団との契約は打ち切りになってしまう。
新庄も人並み以上の優秀な技術を持っていたが、米国に渡ることによって一つ高いステージをリスクを冒して目指した。そして、ジャイアンツ時代には日本人で最初のワールドシリーズを経験し、日本に帰ってきて日本ハムで日本一になる。
新庄に起業家の原風景を見るのは、① 愉しんで野球をやっていること。サラリーマン生活では、愉しんで仕事をするなんてことは、白熊がワイキキ海岸で日向ぼっこを愉しむと同じくらい無理なことだが、自営業ならば収入は減っても自分の好きなように仕事ができる。
② 日本での収入の10分の1に減らされるリスクを冒して大リーグに挑戦したこと。リスクを冒さず、成功や栄光を勝ち取ろうとする人がいるが、はっきり云ってリスクのないところに、勝利もない。これは、起業家にとっての真髄である。
③ 阪神タイガースの時代と比較して、技術的にも精神的に大変な成長を成し遂げていること。起業家にとって隠れた重要な要素は、常に成長を続けていられることだ。この成長が、起業の成功の重要な要素となる。
新庄剛と起業家とは、どこか結びつかないという人もいるかも知れないが、わたしは緊張するシーンでニヤッと笑ってプレーする顔を見て、楽しみながら大きな仕事をしようとする起業家精神を見た気がした。
《もしお役に立ちましたら、ワンクリックお願いします》
人気blogランキングへ